<私の履歴書>


その5 大学院では

大学2年生の頃になると、何故か作曲のことは忘れてしまっていましたが、だんだんとクラッシック音楽の素敵さが分かり始めました。

オーケストラと共にピアノ演奏するコンチェルトのオーデションを受け始め、真剣にピアノのお稽古が好きになり、練習が嫌だとは思わなくなったのです。

試験の前には8時間もの練習。

お指に怪我するわけにはいかないので、箸より重たいものを持たないような、本当にお姫様のような生活。

お食事は全部母が作り、ショッピングに行くと父が重たいものを持ってくれる・・。

ただただピアノを8時間、毎日弾くお姫様!

色々な作品を聴きたくなり、ピアノ曲だけでなく、交響曲、協奏曲、オペラなどなど・・、オーディオルームに行き、沢山のレコードを聞きあさる日々。

巨匠のコンサートにも行きました。

アシュケナージ、アンドレ・ワッツ、アルゲリッチ・・・。 自分の演奏とはあまりにも違う・・。 あんな風には、どんなに練習しても弾けない・・。

巨匠の演奏を神様の演奏のようにクールに見て、聴いて溜息・・。あああ・・凄いいい・・。 ただただ溜息。

でも、あの時の私が受けた感動は、今私が音楽に感じている種類の感動とは全く違うものだったような気がします。 なにしろクラッシックの作品には、恐ろしい程のテクニックが求められます。

そのテクニックを得ようと悪戦苦闘している私は、難しい箇所もスラスラと弾く巨匠達の技術だけに目が行き、実際には音楽をキチンと聴いて音楽の喜びを感じていなかったような気がするのです。

リストの“ラ・カンパネラ”。

あの恐ろしい程の広がりを、1回も間違えずに弾くには、それだけで3ヶ月もかかりました。 それも、指から血を出しながら・・。

体と指にその感覚を覚えさせる。

根性を出して弾いていると、いつしか必ず出来る。

“必ずできる”ということ。

人生の中で、何度となく

「必ず出来る。続けろ。ギブアップするな」と自分に言い聞かせたものです。 “出来ない事などは無い”・・という事実は、今日までの私の人生の中で、大きな自信につながっています。

さて、大学も3年になると、「このまま卒業して就職??」とピンとこなくて、時間がもう少し欲しいと思うようになりました。 そこで、時間稼ぎの為に、大学院に行くことを決めたのです(笑)。

無事に大学院に受かり、進学が決まった時、何故か涙が出ました。 親は反対していた大学院への進学を、自分の意思で決めた、それが実現したことが嬉しかったのだと思います。

さあ、入ってしまったらコッチのもん(笑)。 ようやくクラッシックの楽しさに目覚め、ピアノの練習をする苦しさも無くなりつつあったのです。

親としては卒業して結婚して、ピアノ教室の先生にでもなって、それで良かったようですが。

本人はだんだん本当の音楽の素晴らしさに目覚め出していました。 2人の教授に付き、厳しいレッスンが始まりましたが、それも楽しめました。

公開レッスンにも自発的に申しこみ、「あの曲弾きたい、この曲弾きたい・・」と先生に頼んだものです。

当時、私の弾きたかったのは、バッハでもベートベンでもショパンでもなく、近現代の作品・・

スキュリャビン、ドビッシー、ラベル、リスト等で、それら作曲家の作品を楽しんで弾いていました。

でも、ある時から、大変なピアノレッスンが始まったのです。 それは、ヴァシャヘーリ先生という、巨匠ギーゼキングの愛弟子だった方のレッスン。

その先生、何故か、私には同じ一音だけを1時間も弾かせる。 大学院のお稽古が、たったの一音だけ・・。

レッスン中、先生は私の一音を聞いて、「NO」と言うだけ。何度弾いても「NO」。 「NO」、「NO」とだけ言う。 私には何故その音が「NO」なのか分からず、途中で胃潰瘍になってしまいました。

弾いている。 音は出ている。 でも、先生は「NO」。 ピアノ演奏の本を読みあさり、先生の指を見、ピアノの音を真剣に、真剣に、何度も聞いて聴いて・・、そして又弾く。

あの先生は私に本当にピアノの美しい音、奏でる心に響く音を教えて下さっていたのです。 そのお陰で、美しいピアノの音に目覚めることが出来ました。

 

 



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