<私の履歴書>


その6 そして、アメリカへ・・・

大学院に在学中、なんとなくアメリカに行きたい・・という気持ちが湧いてきました。

クラッシック音楽はヨーロッパに留学というのが普通なのでしょうが、やはりクラシックには自分と遠いものを感じて、何か新しい自分の心に感じる音楽を探したかったのだと思います。

夏にアメリカのバーモント州のプライベイトの音楽学校が先生を募集している、との話しを聞き、すぐに「私、行きたいです!」と英語も喋れないのに・・。 思ったら即行動に・・。 若かったなあ、と思うのです(笑)。

この学校は、一家の家族6人が先生を務めており、広い邸宅にはピアノが20台くらいあったかな・・、日本の個人の音楽教室では考えられない豪華なものでした。 コンサート会場はお庭。 芝生に500人以上も入るスペースがあるのです。


英語は上手く喋れませんでしたが、先生や生徒達とは音楽で通じ合えました。 そして、私が皆の前で演奏すると、何かを感じて貰えるのです。 音楽って凄いな・・と改めて感じました。

学校に住み込んで居た私は、「冷蔵庫を開けて適当に食べて良いよ」と言われていましたが、どうも気が引ける。日本人には中々出来ないのです。 遠慮して、食べたくても食べられず、お腹が空いて、近くのレストランを探し、そこで一息・・。

2週間のプログラム。 言葉が通じない分、生徒達には「何しろ、こうだよ」と弾いて見せて、どうにかこなした、という感じでした。

休日には、ボストンのタングルウットに行き、小沢征爾の指揮を、広い芝生の上に寝転んで聴く。 日本では、きちんと席に座って聴いたことしかなかったのに・・、何故かとても開放感があって素敵。

お空を見て、お日様を見て、お星様を見て・・。この空間、素敵!やっぱり、アメリカって広いよね・・。 なんとも言えない開放感を味わいました。

音楽学校のお仕事が終わり、学校の一家の人達がご褒美として私をカナダに連れて行ってくれる・・という事でしたが、もうクタクタで、頭はガンガンするし・・、帰国して卒論を書かなければいけなかったころもあって、失礼してしまいました。

でも、1人旅を楽しみたい気持ちもあり、帰国途上、サンフランシスコに寄ることに・・。

ぶらりとこの土地を選んだのが、運命の始まり・・、世の中には偶然も必然もないのです。

アメリカに来る前からこの旅には何かを感じていました。 サンフランシスコの街を1人で歩き、坂道の多い街、素敵な町だなと、ルンルンした気分に。

そして、偶然に知り合った人が音楽家で、大学の派閥の先生が一緒だと・・、世の中の狭さを感じました。 その人に、「サンフランシスコの現代音楽祭に参加しないか?」と誘われ、「ハイ」と一言。

その前に、大学院の卒業論文を書かなければなりません。帰国後、早速取り掛かりましたが、どうも興味が持てずに・・。 ここだけの秘密、もう時効っていうことで・・、実は他の人にテーマも考えて貰い、卒論を書いて貰いました(笑)。

でも、やはり、悪いことは出来ません。私だけが論文で落とされたのです。 その後の口頭試問では、面白可笑しく話したら、「きみの話しは最高に面白かったよ!」と担当教授にお褒めをいただきました。

そして、「でも、論文は面白可笑しく書いてはいけない。もう少し知識のある言葉で」と書き直しを命じられたので、今後は難しい日本語が書けそうな“教授タイプ”の友達に代書を頼みこみ、私はそれを自分の字に清書するだけ(笑)。

その時、既にサンフランシスコでの現代音楽祭の予定が近づいてきていたので、2日間も徹夜して清書。 そして、論文を提出して、卒業式を放ったらかして、アメリカに“とんずら”してしまった(笑)。

しかし、あの時は、飛行機のチケットを手配済みで、待ったなしの状態でした。 実は、「どうしよう間に合わない・・」という“間に合わない卒論の悪夢”を、以後10年間も見続けたのです。卒論が、本当に嫌だったのでしょうね(笑)。

さて、論文を死ぬ思いで書き上げて(清書して)、日本を離れ、サンフランシスコのコンサートで演奏。

初めてのアメリカでのコンサート。アメリカの人達にも褒められて、なんか楽しかったな。 そして、コンサート後の領事館でのパーティーで出会った人が“運命の人”となり、それからサンフランシスコに住むことになるのでした。

運命って不思議?????

 

 






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