<私の履歴書>


その4 大学に入学して

無理な練習で腕を痛めて、針、お灸、そして病院通いをしながら、私は何とか大学に入りました。 「ようやく練習から逃れられるかな?」と期待を持ち、「社会の中で遊ぶんだ!」とワクワクしたものです。

私が入学したのは、武蔵野音楽大学。

校舎は池袋線の江古田と入間。1、2年は入間校舎でした。 池袋から急行で50分。 そして、SCHOOLバスで山を登った丘の上に大学はあります。

自然環境は最高! 人は大学の生徒だけ。


それも80%が女性。喫茶店もない、飲み屋さんもない。 男の人が居たと思えば、体が細ーーい男性。

遊ぶ場所? そんなものはない、ない(笑)。 自然の中で小鳥と蝶と山々と遊べということなのかな? 恋の一つでもしてみたい。 でも、どうやって山の中で見つけられるのか、彼氏を????

自宅から通うのは2時間半かかるので、仕方なく最初の1年だけ山の中の寮に入ることにしました。

大学になればお酒も飲めるし、色々と遊べるな・・と計画をしていたのに。 周りは小鳥と蝶と山々だけ(笑)。

私が入居した4人部屋は、声楽課の2人とピアノ課の2人。 今までずっと自由な個人行動をしてきて、子供の頃、必ず通信簿に“協調性なし”と書かれた私には、何となく楽しくもあり、窮屈でもある生活になりました。

とりあえず運動の好きな私は、バスケ部もバレー部もなかったので、女子が憧れるルックスのテニス部に。 短いスカートを穿いて、ハイ、ポーズ。 テニス部では部長さんが唯一の“殿方”。

私の太い足をギリギリまで見せて、唯一の殿に向かって、ハイ、ポーズ(笑)。

山の中にジッとしている筈がない私は、遊びに行く為の脱出計画を考える日々。 しかし、お嬢様学校寮は厳しいのです。何時にお出かけ・・、何時に帰寮・・と報告する必要あり。 本当に自由がないのです! もう大人なんだから放っておいて欲しい所だけれど・・。


週のうち4日間は“お利口さん”に寮でピアノの練習。 当時も練習は嫌いだったけれど、週に1度は教授とのレッスンがあるので、練習しない訳にはいかなかったのです。


でも、残りの3日のうち2日は寮を脱出し、実家には帰らず、友達のマンションに・・。

そこから、計画した“夜遊び”に出発!

初めに行きたかったのが、お酒の飲める場所。 居酒屋、ディスコ、お洒落なレストラン。

食べることに目がなかった私は食べ歩きの本を買って、「今日はここに行こう、明日はここに行こう」と計画を練る。 あの頃は、学校以外の楽しいことなら何でも良かったのです。

ところで、大学に入学して気付いたのは、音楽大学には社会の事を何も知らない人が多い・・ということ。 これは、皆、ただただ人生の殆どの時間を一人で部屋に篭り、ピアノの練習しているから。

でも本当の音楽というものは、人生を経験を語るものの筈なのに・・・。

何かおかしい・・。

寮から脱出した時の私は、お酒を飲んで、踊って、人と喋って、朝まで遊ぶ。 たまらない開放感を味わいました。 そして沢山のコンサートに行って、アルバイトしたお金の半分はコンサート、残り半分は食べ歩きに。 どこの居酒屋が美味しい・・、どこのピザ屋が美味しい・・、どこのケーキ屋が美味しい・・。 そんな話しばかり。 音楽の話しなどまったくしませんでした(笑)。

人と話をすることも楽しかった。 お化粧もお洒落も出来るようになり、友達と旅行にも行けるようになり、毎日の厳しい練習から少しは逃れられるようになっていました。 

 



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