<私の履歴書>
その3 高校時代
子供時代を振り返ると、ピアノのレッスン以外で行っていた自由な創作こそが、本当に自分自身にコネクト出来ることだったのでしょう。 先生もなく、誰からも教えられることなく、それでもヒョイヒョイと前に進める。
大人になると、「やらなければ」という義務感や、「知らなければ」という常識を叩き込まれ、本当の自分らしさを失う機会があまりにも多いような気がします。
だから私はいつまでも【子供の気持ち】を大切にしたいと思っているのです。
さて、お次は、高校時代のお話。
高校に入学した私には、音楽部からのお誘いがありましたが、何せ練習嫌いでもあり(笑)、それはお断りしてバスケットボールかバレーボールをやるつもりでいました。
しかし、「突き指したらどうするんだ!」と両親からのお許しが出ず、仕方なしに水泳部に入ることに。 水泳はつき指しませーーん(笑)。
でも、文化祭ではバンドを作り、自分の曲やユーミンの曲などを弾き語り。 これは楽しい思い出。
ところが、とうとうお遊びができなくなってしまいました。
高校も 3 年生になると、大学に行く為に、クラッシックの作品を毎日最低6時間弾かなければいけない状態に なったのです。
来る日も来る日も、全部で6人の個人教授 をつけられ、 休みの日には総重量3キロほどあるピアノの本を持ち歩き、
先生のところから次の先生のところに。
ストレスも溜まって、高校の授業を早退することも度々・・。
結局、18歳になるまで、一日も練習を休ませて貰ったことはありません。
何処に行っても、母はピアノを見つけ出し、そこで私に練習をさせたのです。
夏休み、祖父の住む長野への旅行では、近くのお寺の境内で見つけたピアノを借りて練習させられました。
指から血が出るほどの練習。
母が亡くなる前に、「何故そこまで私に厳しくしたの? 何故あそこまで練習を続けさせたの?」と積年の思いと共に問い質してみたのですが、母の答えは「あら、そうだったかしら?」の一言。拍子が抜けて、私は何も言い返せませんでした。
しかし、この時期、本人も大変だったけど、娘の才能を信じて、そのレッスンの費用を文句も言わずに家計から出していてくれた両親には感謝しています。
お父さん、お母さん、今は本当に、本当に頭が上がりません。 大声で「感謝してまーーす!!!」と何度でも言いたいです。
自分のことは二の次に、子供の才能を信じ、それを伸ばすことに注力する。
これこそ、親が子供に与えてあげられる最高のプレゼントかも知れません。